山道の追い越し場所

山道の追い越し場所は見通しの利く右曲りのカーブ、見通しの利く下り坂の直進などがチャンスです。


しかし、これはどちらも難しく、中古車の情報の豆知識によると、危険なことも事実だそうです。


なぜ見通しの利く右力ーブなのかを説明しましょう。


左力ーブではなぜいけないのか、それは追い越すクルマと自分のクルマとの走る距離の問題なのです。


左力ーブは当然追い越されるクルマがインコースをとりますから短い距離を走ることになり、自分はアウトコースでより長い距離を走ります。


この差は10mにも満たないでしょうが、じつに大きな差で、自分のクルマに、より強い加速を求めなければなりませんし、併走する距離も長くなるのです。


これが右力ーブだと立場が逆になります。


自分がコーナーのインコースをとることになり、短距離を走るから追い越しははるかに楽なのです。

右力ーブ・下り坂の直線がチャンス

山道では原則として追い越しはできないのです。


最近は箱根の山中でもほとんど黄色いラインがひかれており、追い越しは禁止です。


しかし、この山道でもきわめて遅いトラックやバスがいたり、乗用車の中にも平均スピード以下で走る人がいてどうしても追い越す必要に迫られる場合があります。


ともかく、その遅くて後続のトヨタ 中古車をイライラさせるドライバーにはならないでいただきたいものです。


気分が乗らずゆっくり走りたいときは後ろにクルマがついたら横へよけるぐらいのエチケットは持ってください。

前回の続き

今日は、前回の続きです。


近くに水があればバケツでホイール(車輪)に水を2、3杯かけてやると急激に冷えてくれますが、あまりブレーキが過熱しているとローターが壊れる恐れもありますし、ドラムブレーキ(たいていのクルマの後輪はこれです)の場合は水が入るとこれまた働かなくなるのです。


ともかくブレーキのフェードは極端なほど恐れてほしいものです。


そして、この対策は中古車のブレーキがまだ働いているうちにやらないといけません。


下手に様子を見ているとそのうちに完全にフェードし、プレーキはまったく働かなくなってしまいます。


そうなってからでは手遅れなのです。

こんな風にドライブができると・・・

直線を走っているときに次のコーナーではあのバスが来るなとか、あの乗用車は次の次に出会うなとか計算をしてドライブできるようになれば相当の腕前といえるでしょう。


こういう道の下りはブレーキをどうしても多用します。


そのためフェードの危険があるのです。


フェードしはじめたら、ブレーキペダルを踏む量がすこしずつ多くなるのですぐわかります。


こうなったら注意信号です。


もっとも危険になると前から煙がでて、異臭がします。


もうこうなると完全にフェードです。


この場合は、トヨタ 中古車を道端に止めるしか手はないでしょう。

下り坂の場合

今回は、下り坂の場合です。


中古車情報の豆知識によれば、下り坂の場合はこういうつづら折りの道はカーブとカーブのあいだが直線であることが多いのです。


そこでブレーキを冷やし、カーブの手前で短くブレーキし、同時にセカンドヘシフトダウンします。


そして、けっして速く走ろうとしてはいけません。


外側をゆっくりと走ってください。


また、こういう道ではもちろん登りのクルマが優先なのです。


たいていの場合こういう道では登りのクルマより下っているクルマのほうが視界がよいものです。

一方通行でないところで・・・

今日は運転のポイントについてです。


・・・・・日光のように一方通行でないところではポイントには出られません。


そこで、なるべく中心線の近くまで外へでてCPポイントをめざします。


このへんを考えて最近のよく設計された道ではA地点では登りのほうがうんと広くなっている道が多いのです。


CPポイントからは一層アクセルを踏み、それにタイミングを合わせてハンドルをもどします。


トヨタ 中古車のアクセルを踏む量が多ければ、ハンドルも早くもどします。

本格的なスポーツカー

こんにちは。今日も中古車検索に役立ちそうな情報を更新しまーす。


60年になると、1189㏄、43馬力のSPL2-2に発展する。


このSPL212から、フェアレディという名称が初めて与えられた。


翌年には12馬カパワーを引き上げられたSPL2-3が発表されることになります。


小きざみにマイナーチェンジを繰り返すうちに、212からはスチール製ボディに換えられてしまっていたが、61年にはあの名声と栄光のSR31ーシリーズのべースである、SP3-0にフル・モデルチェンジされました。


このSP3-0はフェアレディ1500と呼ばれ、念願の本格的なスポーツカーとして世に迎えられたのです。

願望型スポーツカー

1952年、ダットサン・スポーツが登場した時、わずか10数年のうちに世界に誇れるスポーツカーに発展することを予期したであろうか。


ハシゴフレームに、わずか860㏄20馬力の、SVエンジンを載せた、願望型スポーツカーは、やがて正常進化する。


この"DC3"の最高速度は70㎞/hというものだった。


それから7年後、59年になるとFRPボディをまとったS211がデビュー。


980㏄のOHVエンジンで、まだまだ34馬力程度のものだった。


それでも最高速度は115㎞/hを可能にしていました。


当時の海外のスポーツカーや今のトヨタ 中古車には、はるか及ぱないデータではあったが、国産の車では高水準なものでした。

愛称

フェアレディ2000が発売されていた昭和40年代中半、単にフェアレディと呼んでいたものだったが、現在マニア達の間では、型式名の方がとおりがいい。


いわゆるSR311で、月日の流れによる呼称の変化も、フェアレディらしくておもしろい。


中古車の検索、販売店が、その後のZと区別するために、型式名で呼んでいたのが、そのまま、マニアの間に広まったらしい。


いわば愛称です。


さて、フェアレディと言えば、日本を代表する本格的なスポーツカーだったし、日本の自動車を世界へ知らしめた、エポックメイキングなクルマであることは良く知られています。

理想を追求

850スパイダーと、同時にデビューしたクーペのほうのデザインは、フィアットの自社製だが、こちらのほうは、ベルトーネ製なのだ。


そしてデザイナーは、あのジョルジョ・ジウジアーロだ。


ジウジアーロは、1959年末から65年10月まで、ベルトーネの主任デザイナーとして、少なくとも21台のデザインを担当したが、この850スパイダーは、その中の19番め(20番めは、東洋工業の初代マツダ・ルーチェー)の作品で、量産車のデザインとしては、アルファ・ロメオのジュリア・スプリントGTとともに最も成功したものといわれる。


その流れるようなフロントのラインは、彼が1963年に発表したシボレー・コルベア・ベースの試作モデル、テスチュードのデザインを実用に移したもの。


空力的スタイルの理想を追求しながらも、造形的に無理がなく、すぐ受け入れられるというジウジアーロ作品の特徴をよくあらわしています。


さてさて、トヨタ 中古車でも探そうかな。